連皿は肋骨に効く
もう二か月ほど前のことになりますが、ある日弐寺をやっていると、左の肋骨のあたりに痛みを覚えました。どうも連皿を回しているときに現れるらしいその痛みは日増しに強くなり、ついにはちょっとした身じろぎで激痛が走り、寝ることすら苦痛になるようになりました。
最初は気まぐれに行っている筋トレで肋骨にヒビが入ってしまったのかと思っていましたが、整形外科で診てもらったところ、骨には異常がなく、おそらく肋骨の関節の炎症だろうとのことでした。
思い当たる理由は一つしかありません。皿の回しすぎです。
☆12全鳥を達成して余韻にふけっていた頃に突如現れた大問題児、SAMURAI-Scramble(L)によってあえなく全鳥を剝奪され、血眼になって狂ったように皿を回し続けていた日々が走馬灯のように思い返されます。BISTROVER稼働終了間際に何故か連皿をうまく回せなくなっていたのは、この炎症が発生して動きを妨げていたからなのだと気づきました。
皿曲は腕・肩に疲労は溜まるものの、大きな怪我につながるようなことはないだろうと高をくくっていたことが仇となりました。以前、灼熱でAAAを出そうと奮闘していた際にも同じように皿を回し続けており、その経験から多少の無理は問題が無かろうと判断していたことも災いしました。
痛みを覚えるようになってから分かったことですが、単発の皿を回すときには肋骨に負担がかからないのに対し、連皿を回すときには肋骨に強い負荷がかかります(プレイスタイルにもよるとは思います)。これが毎日何万、何十万と繰り返されたわけですから、炎症が発生したのも必然と思われます。今にして思えば、灼熱をプレイしていた頃も結構危なかったのではないかと思います。
怪我したての頃は少しでも肋骨に負荷がかかると激痛が走り、本当に全く連皿を回すことができませんでした。2~3週間経った頃から徐々に痛みが引き始め、軽い連皿曲ならできるようになりましたが、肋骨の関節の違和感はなかなか消えず、痛みが発生してから一か月半以上経ったつい数日前になって、ようやく違和感なく連皿を回せるようになりました。
弐寺での怪我といえば、手の腱鞘炎が圧倒的多数であるかと思うのですが、このような形で怪我をすることもあるのだと学べたのは良かったと思います。ごく当たり前のことではありますが、何事も無理は禁物ですね。
弐寺の思い出②
先日の記事の続きです。①はこちら→弐寺の思い出① - ゲームが好き
Lincle
どのようにモチベーションを維持していたのかはもはや思い出せませんが、DJT筐体があるゲーセンを転々としていたように思います。KAC 2011の九州エリア決勝に出場したり、天空の夜明けの伝導に成功したりと、なんだかんだで思い出のある作品です。KAC 2011については、エリア決勝で使われた筐体が鍵盤ガチガチの初代筐体だったため、なすすべなく最下位で終えました。白くなったe-passにwacさんのサインをいただいたことはいい思い出です(使ううちに消えてしまいましたが)。
tricoro
念願の判定調整機能搭載。でもやっぱり、DJT筐体の判定が一番しっくりくることに変わりはありませんでした。Plan 8(A)でAAAを出すまで頑張ったことを覚えています。
SPADA
元々モチベーションが下がっていたところに、実質的な1プレイの値上げ(100円玉では4曲プレイできなくなった)が伴って、完全にやる気を無くしてしまいました。同時期にやらなくなったという方を見かけることがあるので、やはり値上げの影響は大きかったのではないかと思います。
PENDUAL〜CANNON BALLERS
私生活の変化により、時間とお金がほとんどなくなってしまったことが追い討ちとなって、皆伝を取るため以外で触ることはほとんどありませんでした。この期間はトータルで50クレもやっていないと思います。中伝を初めて受けたときに、DIAMOND CROSSINGの難しさに驚いたことが唯一の思い出と言えるかもしれません。
Rootage〜現在
BEMANI道、再発進。友人と遊んだ際に久々に触れた弐寺が楽しかったため、徐々に復帰していきました。完全な浦島太郎状態で、☆12フォルダの曲数が無尽蔵に増えていることに驚き、手首皿のプレイヤーが多くいることに面食らいました(休止前までは、手首皿はごく一部のフルコンランカーだけが使える職人芸という印象でした)。
休止以前のタコだらけの指や、鍵盤を押すための筋力などを完全に失っていたため、復帰したての頃は怪我も多く、決して順風満帆とは言えない再スタートでしたが、「弐寺が楽しい」という思いのままにプレイを続けて、今やBPLの選手候補になれるまでに上達することができました。本当に幸せなことだと思います。
今もなお、弐寺の楽しさには変わりがありません。気負うことなく、これからも楽しいビートマニアを続けていければ、と思います。
弐寺の思い出①
少し前にTwitterで流行っていたハッシュタグに今更ながら乗っかって、弐寺のプレイ歴を振り返ってみようと思います。
CS 8thStyle
専コンと一緒に買って、初めて遊んだ作品です。段位認定八段までは合格した記憶があります。
CSは他に、ACと並行して9th・DJT・EMPをプレイしています。
IIDX RED
ACデビューはこの作品。自分の住んでいた地域に限った話かもしれませんが、この頃は周りを覆い隠すように遮光カーテンが付けられた筐体があり、外界から隔絶された環境でプレイできることが印象的でした。
Aurora(H)の難しさに打ちのめされたことをよく覚えています。この頃までは運指の概念が自分の中になく、階段を右手の人差し指一本を滑らせて取っていたため、第一関節にタコが出来ていました。
DistorteD
当時携帯を持っていなかったため、曲を跨いでどこまでコンボを伸ばせるか、というようなイベントに参加できずに悲しい思いをしました。waxing and wanding(H)でAAAを出せて大いに喜んだことを覚えています。
GOLD
判定緩和の恩恵を大いに受けたためですが、☆11でもAAAが出せるようになったことに浮かれていました。まだまだボスフォルダを満足に解禁できるような実力はなく、皆伝に挑戦できるくらいの腕前にはなっていたものの、辛うじて辿り着いた穴冥にボコボコにされていました。
DJ Troopers
ついに皆伝合格。前作で散々苦労したのが嘘のような一発合格でした。周りに人が居ない中、一人で喜びを噛みしめたことを覚えています(当時はTwitterがなく、mixiなども利用していませんでした)。MENDESをなんとか解禁しようと頑張ったものの、やはり実力不足は否めず、全解禁後に消沈しながらプレイしました。
EMPRESS
3y3sに度肝を抜かれたり、全白を達成したりと思い出深い作品です。3y3sは初見で最初の発狂を抜けたものの落ち、もう一度挑戦しようとしたらProgramed WorldでAAAを出せず、肩を落として帰った記憶があります。全白については、穴冥を埋めて狂喜乱舞したのちに渋々FAXXを埋めての達成でした。この頃からFAXXはいつか削除されるだろうと高を括っていたのですが、まさか現代まで生き残っていようとは……。
SIRIUS
今一つ印象の薄い作品です。全白を達成したので、今度はフルコン埋めに血道を上げていたように思います。MENDES(A)をフルコンして大喜びしたことははっきりと覚えています。
Resort Anthem
自分の弐寺史上、最大の事件が起きた作品でした。
クリア力・スコア力ともに円熟の域に達した頃で、毎日脇目も振らずにゲーセンに通っていました。そんなある日、ホームゲーセンにいつも通りに向かうと、つい昨日まで愛用していたDJT筐体が何故か無くなっている……。懇意にしていた店員さんに話を聞くと、1台減台されることが決まり、昨晩のうちに搬出されたのだという。あまりのことに呆然としました。当時ホームにしていたゲーセンにはDJT筐体と初代筐体がそれぞれ1台ずつあり、その中からよりにもよってDJT筐体が連れ出されてしまったのです。まだ判定調整機能もなく、よほど器用な人でなければ、自分に合った筐体を選ばなければならない時代でした。
その後は、燃え盛るモチベーションに衝き動かされるかのように付近のDJT筐体を求めて彷徨い、自転車で40〜50分の場所にあると知るや、大汗をかきながら通っていました。……が、そのゲーセンはのちに潰れてしまいました。
夜が更けてしまったので、今日のところはここまで。
②はこちら→弐寺の思い出② - ゲームが好き
雷電Ⅱをワンコインクリアした
最近暇を見てはプレイしていた雷電Ⅱを、ついにワンコインクリアすることができました。
(3面で誤ってニュークリアミサイルを取ってしまい1upも取り損なったうえ、その後の道中でボムを3発ほど撃ってしまうという惨状だったものの、それ以降は非常に安定しており、ノーミスで5面を抜け、6面を抜け、7面までも抜けて8ボス手前でミス、1Pスタートのおかげでその場復活だったのであとはゴリ押しで残0クリア。2周目はバルカンが3wayになったところでボンバーモードに突入、どうにか2-2終盤でPを獲得するもボスの瞬殺に失敗、という幕切れ)
「雷電Ⅱ」でググると、初代に比べて高難易度化が著しく人気が出なかったというような記事がモロンと出てきますが、緊急回避に使える拡散ボムが追加されたおかげで、個人的には割とトントンなのではないかと思います(ボス瞬殺などの攻略情報前提ですが)。むしろ演出面の進化が著しく、先を見たいという欲求からどんどん進めていけた印象です。苦労の末に5面をクリアして宇宙へ向かう、という体験を全人類にして欲しいと思っています。
これまで東亜系STGをいくつかやってきましたが、遅い自機をうまいこと動かして攻略していくのはたまらん面白さがありますね。弾幕STGだと必ず一定は気合い避けを要求されますが、東亜系はきちんとパターンを組めば気合い避けの必要がほとんどなく、上達を実感しやすいというのが大きいように思います(そのぶんアドリブは効きませんが)。また大半が連射装置が一般的でない時代の作品とあって、敵の耐久が低く、張り付きで瞬殺といったことが出来るのもポイントが高いです。なので皆さんやりましょう。頼むこの通りだ。
次は雷電DXをやろうと思います。楽しみだ。
V系のライブを観た
ゲームの感想とか書きたいなんて言った矢先に書いてるのがV系のライブの感想で、なんでや感が自分でも割とありますが、書きたくなったので仕方がない。
というわけでV系のライブに行きました。2/14にライブハウス武道館でやってたやつ。詳しくはググってください。
二十n年生きてきて今回が初のライブだったんですが、ライブがこんなに良いものだとは知りませんでした。会場に着くまではバンギャっぽい人を見て恐れたり、ジョジョっぽい人を見て慄いたり不安に包まれていたものの、いざ着いて始まってみればそんなものは全ていっぺんに吹き飛びました。全身がバラバラになるような音圧、目を焼かんばかりのライト、うごめくサイリウム的な光る花々、獅子舞のごとく髪を振り乱す女性、そして僕の隣でスヤスヤ眠っているおじさん。
実際の場で聴いて初めて分かる本当に凄まじい音圧(これはメタルだったからかもしれない)と、会場の盛り上がりを肌で感じて時間を共有する感覚の心地よさはかけがえのないものだと思います。これまでV系の人というのはいかつい恰好をした良く分からない人(クソ失礼)というイメージだったんですが、今回は本当に恰好よく見えました。
総じて今までのライブ観が覆されました。こりゃあフルプライス出してチケットを奪い合うわけだ。
今回は全く知らないバンドだったんですが、それでもこれだけ楽しめたことを思うと、自分の好きなバンドのライブに行ったときゃあそりゃ獅子舞にもなりますわなという感じです。BOOWYのライブとか行ってみたかった。
ちなみに隣のおじさんは寝たかと思えば起き、光と音がつらいのかコートに顔を埋めてはまた寝たりしてました。何しに来たんだ。
勢い
文章の練習も兼ねて、ゲームの感想とかを書いていきたい。